2007年2月19日月曜日

「今なら言える」

時が経つと不思議と言えること、もしかし
たら結構あるのかもしれません。
 その時は恥かしかったり、変に意地を張っ
ってしまったり…。
 あるいはタイミングを逃して、言えなかっ
たり…。
 そうやって心の奥にしまわれていく想いは、
一生言葉になることはないのかもしれません。
 今なら笑って言える、笑い話にして懐かし
く思い出されること。
 今ではなく、もしもあの時に戻って言えた
なら、今頃私はどうなっているでしょうか。
 全然違う人生を送っているのか、案外今と
変わらないのか、それは誰にも分かりません。
 些細なことから運命が違うものになること
も、決してないとは言えないと思います。
 たとえば、子供の頃に言われたこと。
 傷ついた心無いひとこと。
 言った本人も覚えていないような…。
 親や先生、友達。
 好きな人に言われた言葉は棘のように心に
刺さったまま、一生抜けません。
 忘れた頃、弱った時、ふと痛み出す言葉の
棘。
 きっと、誰しもいくつか持っているでしょ
う。
 傷つけた本人は覚えていなくても。
 それは私にも言えることです。
 知らずに誰かを傷つけていたら、今すぐ謝
りたい。
 今更遅いかもしれないけど。
 たとえば、親から愛されなかったら、子供
は傷つきます。
 親を憎んでしまうこともあります。
 その事で一生苦しんで、自分で自分を傷つ
て、まわりの人も傷つけてしまうかもしれま
せん。
 でもどんなに時間が経っても、自分が大人
になって、親も年老いてしまった時に、
「愛せなくてごめんね」
と言われて、謝られて、はじめて親も苦しん
でいたんだと分かることもあります。
 子供の時は理解できなくて親を恨んでも、
冷静に親の苦しみも少しは分かる年齢になれ
ば、許せない気持ちが和らいで、わだかまり
がとけてくれるかもしれません。
 親にも事情があって、自分の事で精一杯だ
ったからなのだと。
 私を嫌っていたわけじゃなく、私が悪いわ
けでも誰のせいでもない。
 私は自分を責めなくてもいいんだと思えた
ら、自分を好きになれたら、どんなに楽にな
れることでしょう。
 そうやって過去のあやまちや後悔を少しで
もなくせたら。
 過去は消せないけれど、心にずっと刺さっ
ていた棘を抜けたら、前向きに生きていける
気がします。
 自分が必要ない存在なのだと自暴自棄にな
らずにすみます。
 そうやって自分を傷つけたり、親に反発し
たり、やっぱり可愛くない子供だったのかな
と思うけど。
 自分が愛されたいとばかり思って、親を気
遣えない嫌な子供だったのかな、もっといい
子になれば愛してくれるのかな、とも思いま
した。
 いつか、親自身から自分も愛されたことは
ないと聞きました。
 兄弟が多くて、自分は構ってもらえなかっ
たと言いました。
 そんなものだと。
 愛されたいと思う私のほうが変なのかとも
思いました。
 どこの家庭もそうなのかと悩みました。
 他人の家のことは分からないから。
 でも本を読むと親の愛という言葉が出てき
ます。
 それが子供をまっとうに育てるのに必要だ
と書いてありました。
 それはどこにあるのでしょう。
 私の家にはないけど、ほかの家にはあるの
でしょうか。
 そして、それはどんなものなんでしょう。
 私はそれを知らないから、愛を一生手に入
れられないかもしれません。
 親の愛を知らない親は子供を愛せない、と
書いてある本を読むと不安になります。
 私は親になる資格はないのです。
 それは私の親もその親もそうだったとした
ら、愛は世界のどこに存在するのでしょう。
 きっと、愛を知らなくても人を愛すること
はできるのだと信じたいです。
 私もいつか人を愛せる人間になりたい。
 親を愛したい。
 今言えるならば、産んでくれてありがとう、
育ててくれてありがとうと言いたいです。

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