2007年4月8日日曜日

あの日

その日は休日で、私は遅い朝食を済ませ、居間に座ってテレビを見ていました。
 ドン、とすごい衝撃があって、一瞬なんだか分からず、塀に車が衝突したのかと思っていると、グラグラと地面が揺れだしたのです。
 私は驚いて立ち上がりました。でも体を支えられず、なんとかバランスをとろうとしましたが、結局しりもちをついていました。
 その時、台所にいた母が、
「地震よ!]
と叫びながら飛び込んできました。私はやっと、今なにが起きているのか理解しました。でもそれが分かったところで、何をどうすればいいのか考える余裕もなく、ただその場に座り込んでいました。
 母が、
「机の下にもぐりなさい」
と言いました。その指示になんとか従おうとしましたが、あまりの揺れのひどさに机にたどり着くこともできないでいると、揺れはおさまっていました。
 しばらくして、テレビが地震の発生を伝えていました。
 それが、3月20日の福岡西方沖地震でした。
 テレビ画面を呆然と見つめながら、私は体が震えているのに気づきました。
喉は枯れ、声を発することもできずに、震える体を抱きしめながら、
「世界の終わりだろうか」、
「地球が壊れたのだろうか」、
と、取り留めのない考えが頭の中をぐるぐる回っていました。
 書斎にいた父が、私たちのいる居間へやってきて、
「ガスの元栓は消したか」
と、聞きました。
 母が確認に台所へ向かいました。
 私は、弟が部屋で寝ていたことを思い出し、あわてて2階へ行こうとしました。しかし、腰が抜けたようになかなか立ち上がれず、足はもつれ、なかなか歩けません。それでも、なんとか部屋へたどり着き、ドアを開けると、やはり弟はベットに寝ていました。
 私は、
「早く起きて!タンスが倒れてくる!」
と、震える声を搾り出していました。ベットのすぐ横には、タンスが置いてあったのです。私の頭には、なにかのテレビ番組で見た場面が浮かんでいました。タンスの下敷きになって怪我をする、そんな場面でした。
 弟は、
「もうおさまってるから平気だ」
と、動こうとしません。
 階下では、
「家が壊れるかもしれない」
とか、
「避難場所は」
とか、
「まだ揺れるかもしれない」
とか、話している声がします。どうやら、父は外へ出てみるようです。
 私は、なんとか弟を起こして、母の所へ行きました。
 こんな時、どうすればいいのか、家の中が安全なのか、外に出たほうがいいのか、避難するべきなのか、でも第一私は、避難場所さえ知らないのです。
 母も不安なようで、テレビニュースを見つめています。弟は、まだ寝ぼけているようで、でも案外図太いんだなと少し緊張が解けました。
「一人じゃなくて、家族が一緒で良かった」
と思うと、少し落ち着いてきたました。
 こんなに怖いのは、生まれて初めてです。きっと、たくさんの人が同じ思いでいることでしょう。
 最近起きた新潟の地震も、
「福岡は地震のない土地だから」
と言う人ばかりで、どこか人事のように思っていたのだと、恥かしくなりました。
 ついこの間テレビで、福岡にも警固断層というのがある、と言っていたのを思い出しました。
 部屋に戻ってみると、本棚から本が零れ落ち、棚の上のぬいぐるみも床に散らばっていました。
 外から帰ってきた父が、近所中の屋根瓦が落ちていたと言っています。あの地震から何ヶ月もたった今も、屋根をブルーシートで覆われた家が何軒もあります。
 幸い我が家では怪我もなかったのですが、未だに恐怖を忘れることができません。もし、また、そう考えると何も手につかなくなってしまいます。
 私が今ここにいるのは、些細な偶然の積み重ねで、いつか消えてしまう儚い存在なのだと始めて気づきました。
 あの日に、心配して電話をくれた親戚や友達の存在だけが、私を支えてくれています。

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